Twitterにおける意見齟齬に対する見解 #twitter

梅雨いりしましたね~。
湿っぽい季節になりました。

今日はTwitterについての話。

まーかれこれ535日目になる、私にしては超長寿日記(一応ミニブログだよね)。

私が始めたのは、まぁ特に理由もなかったんですが、流行り始めだし、乗るしかないこのビッグウェーブに!、ぐらいの気持ちででした。

その頃は同じように、新しいものに触れた人たちで溢れていて、いかにも黎明期だったわけです。
リアルタイムにネットで意見をやり取りするというのは、古くはMSNのメッセンジャー、もっと古ければまぁいわんやですが、なかったわけではなかったです。
しかし、コミュニティが如何せんリアルな知人とか、閉鎖的にしか築くことができなかったんですね。
それが、様々な考え、国、人種すら超えた人たちが等価に意見をやり交わし、コミュニティを築くことができる。
これがとても新鮮でした。
私は英語圏には疎いので、ほぼ日本人の人たちとしかやり取りしていませんけれど、それでも非常に広大で、画期的なことでした。

加えて、擬似AIプログラムともいうべき「bot」の存在も、真新しいものでした。
(Robotからきているらしいですが、なぜRoがないのかはよくわかりません)
特定のツイートに反応して何かしらのツイートを行うだけの簡単なものもありますが、中には、これ人なんじゃないの?ってぐらい高度な反応を示し動くものもいて。
極大な言い方をすれば、未知の生命体と出会ったかのような衝撃と、それと会話をしているという、神秘的体験だったわけです。

主に上記2点から、即Twitterにはまりました。
Twilogに加入もしていたので、当時のログを見ることが出来ますが、本当に楽しかったんだなぁというのがわかります。

時間が流れるにつれ、bio(自己紹介欄)等で属性を同じくする人などとフォローし合うようになり仲間は増えていきました。
俗にいう、クラスタ、の一部に自分もなっていったわけです。
リアルな身近な人とは話せないような趣味でも、同じように語り、共有できるわけですから、楽しくないはずがありません。

しかし、時が経ち、Twitterが世間に浸透し熱が冷め始め、事態が変わってきます。

いわゆる猫かぶりをやめて本性を表す人が出てきました。
最初は大なり小なり、誰でもペルソナをかぶりますし、そうでなければ、人がやり取りすることは難しいでしょう。
そして、いずれそれを取ることもあるでしょう。
悪いことではないはずです。
見方によっては、本来の自分に近い状態を表現するようになったわけですから、非常に素晴らしいことといえると思います。
が、場所はネットで大半の人は匿名。
この結果、表すものがあまりにもデフォルメ(拡大解釈)されました。
リアルだと面を向かっていえないことも、匿名ならいえるが故にです。

これをうけ、これまで属性をキーとしてクラスタリングしてきた集団が、崩れ始めました。
簡単にいえば、例えば、同じ趣味だという理由だけでフォローしあっていた人たちが、各々の本性というものにも目をむけることとなり、「趣味が同じだからといってフォローしたいものでもない」、と気づいたのです。

実際私も、少なからず当初の頃とは接し方が変わっていますし(私自身のリアルな環境の変化によるものを除いてもです)、その結果として、フォローの関係が崩れた人もいます。
申し訳ないことをいったなと反省をしている面もあります。
周りの人についても同じです。
人によっては、完全に別人という人もいました。
その変化で、良いと更に感じるようになった人もいれば、逆もしかりでした。

しかし、私の所感では、悪くなった方が大勢を占めると感じています。
どうしても、あの始めた頃の初々しさとか皆が楽しい感じとか一体感的なものとかと比較してしまうが故です。

なら、最近始めた人を探せばいいんじゃないのか?という意見もあるでしょう。
ですが、既に環境が違うんですよね、あの頃とは。
周りが既にペルソナをとっている状態で始めた人のどれぐらいの人が、あの頃のような初々しさを持ってくださるでしょうか。
無理な話というものです。
つまり、こういう環境が形成されてしまっている状態では、新規だろうと古残だろうとかわりないということです。

最近回ってくるツイートの大半が、とてもストレートなものになったと感じるのは上記のせいだと思っています。
以前はストレートな方がいいと思っていました。
しかし、モノにはいい方ってものもあるんじゃないのか?等々思うような、とても人が人にぶつける言葉ではないと感じるものが多い、と感じるのです。

いろんな垣根を超えて集っているコミュニティです。
年端のいかない人もいたり、リアルな環境の違いもあったり、で、思慮の足りなさや思考の浅さなどがあることは捉えておくべきだし、そこはある種スルーしてあげる優しさがあってはじめて、言葉のやり取りも出来ると思っています。
また、意見がくい違うのは、個々の個性によるものであり尊重されるべきだと思うので、いいとか悪いとかそういう尺度では測りたくありません。

でもですね、上記をひっくるめても、悪意あるものとしか受け取れない言葉が多いと感じてしまうのです。

4月頃は私自身不安定だったこともありますが、そういうツイートばかりが目について、脊髄反射というか鉄鍋のようにというか、即攻撃的にマジレスしてしまうようなことが多々ありました。
それによって、これまで長年フォロー関係にあった人とさよならすることとなり、またそのやり取りを不快に思う人が離れていき、というデフレスパイラル的負の連鎖が続きました。
余裕がなかったとはいえ、私自身もっとオブラートに包んだり、いいまわしを変えたり出来たと思うところ、多々あります。
時を戻せるならやり直したいというifもチラつこうというものです。

もし、このブログを見て、自己のTwitterの扱いに思い当たるフシがあるところがある方がいたら、同じ失敗をしないためにも、今一度有り様というものを考えてみていただけたらと思います。
真面目に考えすぎ、という方もいらっしゃるでしょうが、これが私なりのTwitterの捉え方です。


で、今月に入って、Twitterから大分身を離してみました。
悪意的ともいえるストレートな意見を見るのも、してしまうのも嫌になったからです。
やってみたのは、「TL(タイムライン)はみない、ただ自分がふと思ったことをつぶやいてみる」。

空虚にも程がありますね苦笑。
これまで、人のツイートに絡んでナンボな扱い方をしてきただけに。
他にもいろいろ試してみました。
TLを見る時間帯を絞る、不快なキーワードをひたすらignoreする、etcetc。。。

でもまぁ、どれもよく感じるはずがないですよね。
負の方向にしか、手を進めていない(られない)んですから。

今は最終的に、Twitterそのものに対する見方を変えてきて、ようやくまともにTLをみられるようになってきました。
割り切りです。
「所詮はネット」、と。
最悪手かもしれません、がもう自分にはそうやってみるしか方法が思いつきません。

Twitterである程度仲良くなった(と私は思っている)、さらに仲良くなりたいと思った人には、Twitterとは違う方向へ誘ったりしています。
願わくばリアルな所までシフトできたらいいなと淡い願望を抱きつつ。

6月からどうするかは検討中です。

梅雨があける頃には、いい方向に進んでいるといいんですけど・・・。

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